Interview with the management経営者インタビュー
大阪
2021.07.10
社会貢献/自己実現
大阪府松原市を拠点に、和を感じるアットホームな雰囲気が魅力の会館「和想空間 奏」を運営する、株式会社おりさかの代表取締役・下坂武様にお話を伺いました。
葬祭業界でのキャリアが長い下坂社長ですが、葬儀の仕事に携わるようになるまでには様々な偶然の重なりがありました。拠点とされている松原市ともゆかりがない中で、下坂社長が「松原で愛される葬儀社」を作り上げるまでにたどった道のりとは…?
下坂社長は会社を創業されるまで、どのような仕事をされてきたのですか?
私は葬祭業界で仕事を始めてから、今でだいたい15年くらいになります。その前は知り合いから「手伝ってほしい」と言われ、ネットカフェで店長をやったり、車関係の会社で整備をしていたり、異業種ばかりでしたがサービス業をずっと続けてきました。
会社を創業する前に勤めていた葬儀社の代表が、いろんな業種を買収していたのですが、その中の一つが私が店長をやっていたネットカフェだったんです。買収された後、どんどん競合の新しいお店ができていく中で経営が厳しくなり、ネットカフェを畳もうかとなったときに、母体の葬儀社の方にお誘いを受けまして。やったことのない仕事でしたが、その葬儀社で働くことにしました。
もともと葬祭業界の仕事に興味があったわけではないですが、買収されて1年くらいでネットカフェを閉める決断をしたので、迷惑をかけてしまったなと感じていたんです。母体の葬儀社で働くことで、何か恩返しできないかという気持ちも大きかったですね。
携わってみてからは、葬祭業界に対してどのような想いを持たれましたか?
この仕事に対しては大きなやりがいを感じていますし、普段は必要のない業種ですが、御不幸を迎えた方にとっては必要で支えになる立場だと思います。ご遺族様との関わりは短い時間ではありますが、関わらせていただく間は最大限支えになりたい。雨が降ったときの傘の役目を果たすのが、葬儀社としての仕事だと思っています。
ただ、勤めていた葬儀社は古い体質が残っていた会社だったので、ぶつかることもありました。年々葬儀の形態や考え方が変わっていく中で「あかんことは正そう」と思い、古い体制を変えていきました。
それから、自分の中での「葬儀のあるべき姿」が確立してくると、会社の方針と自分の想いにどんどんギャップができてきたんです。もちろん会社なので収益が大事なのは分かります。しかし、まずは「この方に頼んだら安心だ」と思ってもらうのが大事で、売り上げはあとからついてくるのではないかと。
「クレームは出てもいいから、利益を取れ」という雰囲気に耐えられず、前の会社を辞めました。ポジションや給料も良かったんですが、自分の気持ちに正直にいたかったんです。
前の葬儀社を辞めてからは、転職ではなく起業を選んだのですね。
実は職業自体も違うものをやろうと思っていたんです。葬儀屋をやるつもりはなかった。でも会社を作るにあたって税理士さんと話していたときに、キャリアのある葬儀業をやった方がいいと言われたんです。未経験のことをやるよりは、まずは実績のあるものに取り組んだ方がいいと。いろんな会社を見ている税理士さんに言われるなら、そうしてみようと思って今葬儀社をやってみているところです。
2019年に起業されてすぐに会館を持たれていますが、これはもともとあったものですか?
会館は、もともと診療所だったところなんです。それをフルリフォームして会館にしました。創業するのであれば、お客様が足を運べる場所が必要だと思ったんです。また、最近は洋風な会館が増えてきていますが、古き良き日本の時代を引き継いでこられた方々をお迎えし、お見送りすることを考えて、この会館は和の雰囲気にしようと思いました。
「なんか落ち着くな」と思ってもらえるような、柔らかい雰囲気を拠点として持ちたかった。亡くなる方々が青春を謳歌したときの空気感を、少しでも出せればなと思っています。
名前は和に関する言葉の中でたくさん迷ったんですが、「音」というのも昔を思い出すのに大事な要素。そこで和を奏でるという意味で「奏」と付けました。だから流すBGMも、どこか懐かしい童話を和の楽器で奏でたCDをコレクションして流したりしています。お客様も「これいいね」と言ってくれたりするので、嬉しいですね。
葬儀をする中で「おりさか」として大事にしていることはありますか?
私は昔からそうなんですが、打ち合わせの時間を長めに取るんですね。すぐに葬儀のプランの話はしないです。まずはお客様がどんな考えを持っていて、何を大事にしているのかをお伺いしながら、心を開いていただくことを大事にしています。
無理には売らないです。欲しいものは買っていただけますし、もし聞かれたら「私ならこれがいいです」といった意見は言いますが。私がお客さんになったときにされたら嫌なことはしないですし、自分がお客さんとして使いたい会館であるということが一番ですね。
松原という地域を選んだのはなぜですか?
松原にゆかりはないんです。物件を100件以上見た中で、ここは快くOKをもらえたんですが、駐車場が小さいのと、松原市に火葬場がないので火葬料金が市民以外の金額になるという点がネックで悩みました。しかし、この地域の方にお話を伺ったら、火葬場がないことは知っているから料金は気にならないとお聞きしたので、この場所での開業を決めたんです。
大阪市内だったり、密集するところになればなるほど葬儀の単価は下がっていて、郊外になればなるほど単価が高いという傾向がある。大阪市より松原市の方が葬儀に対する料金の感覚が高いんですよね。
そういった背景を踏まえて、家賃とのバランスや人口比率に対しての葬儀社の数などの数字を算出し、お客様に無理にプランの引き上げなどをしなくても、やっていけそうな数字が出せたこともあり、この地域に決めました。
地縁がない中でのスタートだったようですが、会社設立後はスムーズでしたか?
土地勘がそんなにない場所ではあったのですが、大通りや人の集まるスーパーに面していたので、わりとすぐに葬儀社として認知はしていただけました。ある程度稼働するまでの3〜4ヶ月はしんどかったですが、その後はスムーズでしたね。周りの方からも「もうこんなにうまいこといってるの?」と驚かれたりしています。
とりあえずまずはどんな仕事も受けて、認知していただく。そしたら「よくやっているけど、どんな会社なの?」って気になるじゃないですか。まずはそうなっていかないといけないと思って、どんなこともやっていました。
最初のお客様は突然インターホンを鳴らして相談に来てくれて。「近々かもしれません」ということだったんですが、その晩に葬儀を担当させてもらいました。初めてお客様に来てもらえたときはやっぱり嬉しかったですね。相談してもらってすぐに葬儀をすることになったのは、驚きましたが。
最初の頃は、毎日時間があれば会館の前をほうきで掃いていました。全然関係ないところも掃除しに行ったりして。そうすると話しかけてもらえるんですよね。そういうところから相談に繋がったりもしました。仕事が入ったときだけ人が来るというホールも多いんですが、私たちはここにずっといるので、いつでも頼ってほしいです。
うちは24時間事前相談可にしています。夜間しか相談できない方もいると思うので、いざというときにも安心して来てもらえるように。夜間の相談が増えたら正直しんどいかもしれないですが、安心には変えられないですよね。
今後のビジョンはどのようにお考えですか?
ホールを増やすという展開もあると思うのですが、人を増やしたりすると自分の想いと離れていくこともあると思うので、まだ考えられないです。会社を大きくするよりも、想いが伝わる葬儀を大事にしたい。
私も人間なので欲はありますが、ストレスしかないような会社にはなってほしくないし、やっぱり大事にしたいものを大事にしたいです。
最後に、下坂社長の葬儀に対する想いをお聞かせください。
私の祖母が亡くなって葬儀をしたとき、そこの葬儀屋さんの接し方が本当に良くて。売りつけることもないし、本当に気持ちを大事にされていた。そのとき「この仕事ってこうあるべきだな」と思ったんです。それが今の仕事に対する信念にも繋がっています。
葬儀屋の仕事は、「人の役に立てた」という実感が他の業種より強く感じられるんじゃないかと思うんです。「ありがとう」の重みを感じられて、だからこそ自分は仕事をしているんだと強く思える。それが、私が長く葬儀業界にいる理由にも繋がっている気がします。
私は「有言実行」を座右の銘にしていて、打ち合わせの中で約束したことは必ずやりますし、できそうもないことは約束しません。お客様とちゃんと向き合って、約束したことを叶えていく。それが私の会社の強みにもなっているのではないかと思います。
お問い合わせ
Mission Company Story~エンディングビジネス~は、
葬祭業界(エンディング業界)特化型の経営者インタビュー・転職ブラットフォーム。
エンディング企業の経営者の「想い」と、その「想い」に共感する人と出会えます。
また、葬祭業界(エンディング業界)のさらなる発展のための情報を発信しています。