Interview with the management経営者インタビュー
愛知
2023.03.19
社会貢献/自己実現
愛知県一宮市に拠点を持ち活動している、株式会社のいり。1912年に創業し、今年で110年。4代にわたって継がれている地域密着型の葬儀社です。
お話を伺ったのは、株式会社のいりの代表取締役社長・野杁晃充様。
「のいりの知名度と比例して増えた周りの声に嫌になり、中学受験を区切りに実家をあとにした」。そんな野杁様は、とあるきっかけで継ぐことを決意し、今では次の15年、その先100年を見据えたサービスを展開しています。
何に心を動かされたのか?110年の歴史を誇るのいりが、これから目指す「総合葬祭サービス会社」とは?そこには、“やるべきこと”のための変化を恐れない野杁様の姿がありました。
はじめに、のいりさんの歴史をうかがってもよろしいですか?
はい。のいりは、私の曽祖父が1912年に創業しました。当時は葬儀業者がおらず、葬儀は基本的に町や村の長老や寺院たちが取り仕切っていたようです。そのためのいりでは、祭壇の御輿の部分や野辺送りの際の提灯、木製の平素なお棺などの葬具を作っていた、と父から聞いています。
曽祖父が病気で40歳頃に亡くなってからは、祖父が戦争から帰還するまで奥さんや娘さんが切り盛りをし、1955年に会社を設立。この頃から司会や霊柩車の御用達を始め、1990年に父が、2011年に私が会社を継ぎました。
今から40〜50年前になるでしょうか。父が若かった頃は葬儀専業社が一宮市内に20数社あったそうですが、現在残っているのは弊社のみ。全国でも、数がだいぶ減ってきている状況です。
一方で、互助会さんやインターネット系の葬儀社さんは増えてきています。これまでの葬儀業界は参入障壁の大きい、いわゆる「閉鎖業界」でしたが、今はその壁がありません。葬儀のしきたりや地域の風習、宗教儀礼について知らなくても、大きな式場や駐車場がなくても、誰でもすぐに葬儀社が始められる。時代が変化してきています。
野杁さんは、昔から「実家を継ぐのは当たり前」と考えていらっしゃったのですか?
男3人兄弟の長男ですが、とてもそんな風には思っていませんでしたね(笑)。とにかく息苦しかったですから。
父がまだ若いころの話です。京都の公益社さんでの修業から帰るや否や、京都流の式場装飾や24時間の夜間当直制、死に化粧を導入したんです。すると社員が全員辞めてしまったそうです。そのようなトラブルはあったものの、当社の葬儀は評判になり、のいりの売上は5倍、10倍、と跳ね上がりました。
すると今度は、知名度と比例するように「葬儀屋ののいりさんのご子息?」といたるところで聞かれるようになりました。心ない友達からは「お前の家はいいな。人が亡くなると儲かるんだろう?」と言われ、お友達の家に遊びに行くと「先日は祖父の葬儀でお世話になりました」と言われ……。
「こんなところにはいられない」
子どもながらにそう思い、名古屋にある中学を受験したんです。以後、一宮に戻ることはなく、東京で就職。20代前半はアンダーセン コンサルティング(現:アクセンチュア)で4年ほどコンサルティングをしていました。
大学進学を機に東京に出て、8年。仕事はやりがいがあるしお給料もいい。付き合っている彼女も友達もいる。仕事でエンドユーザーに関われないもどかしさを感じてはいたものの、日々の生活に大きな不満はありませんでした。
そんな私が実家を継ぐと決めた理由。
それは、末期の胃がんを患った祖父に「一宮に戻ってきてくれないか」「会社や家の墓の面倒は、長男であるおまえが見てほしい」と言われたからです。
その後、どういった経緯でのいりさんを継ぐことになったのでしょう?
一宮に戻ったのはいいものの、畑違いの仕事からいきなり葬儀業界に入ることに不安を感じていたので、父に相談したんです。
提示された選択肢は2つ。1つは、父と同様に京都の公益社さんで修行をさせていただく道。もう1つは、アメリカに飛んで現地の葬儀を勉強する道。
父はアメリカの葬儀者の在り方や、エンバーミングというご遺体を保存する技術に注目していて、「日本でも必ず役に立つ」と感じたようです。私自身も前職でアメリカとのご縁がありましたし、「若いうちでないとアメリカで働く経験なんてできないだろう」という思いもありました。
そこで、当時付き合っていた今の妻と結婚し、2人で移住。大学に2年間通って国家試験を受け、シカゴの葬儀社で1年間働き、29歳の終わりに帰国しました。
そして会社に出社したその日に、父から金庫の鍵と会社の実印・銀行印を手渡されて、バトンタッチが終わってしまったんです(笑)。「俺も修行から帰った日にそうされた。あとはお前がやれ」と。
私は実質的な権限を移譲してもらって専務取締役に就任し、父は会社にまったく顔を出さなくなりました。「自分と息子の2人がいると社員がどちらの話を聞くべきか迷うだろう」と、昭和頑固親父ながら考えていたのかもしれません。
とはいえ、すぐに退けるお父様もすごいですね。実際にのいりさんに入ってみて、前職とのギャップを感じられたのではないでしょうか?
はい、ギャップは大きかったです。
父が先導していた頃ののいりは、いうなれば職人集団。葬儀の装飾は一流品だけれども、社内を覗いてみると帳簿のデータが合わない、パソコンはなんと旧式のオフィスコンピューター、規定やマニュアルはもちろん、パンフレットやホームページもない。「ここからか……」と思いましたね。
ですから「葬儀屋」から「会社」に変えるために、まずは社内体制の改善に労力を費やしました。
社長を交代されたのはいつ頃ですか?
創業100周年を迎えた、35歳のときです。10年ほど前になります。そのタイミングで「地域の人に愛されるオンリーワン・ローカルブランドを目指す」というビジョンを策定しました。
モノを作る会社ならば、インターネットを通じて全国や世界に届けられます。でも私たちの仕事は「サービス業」であるため、そうはいきません。県内であれば良いというわけでもなく、エリアが拡大するにつれてサービス品質などのクオリティを維持できなくなります。
ならば自分の目が届く、車で片道30分以内・半径10km圏内で、60〜70代の高齢者が困っていることを解決しよう。そう決めて、「ローカルブランド」というビジョンを掲げました。
そこで取り組んだのが、事業の多角化と運輸や調理などの内製化です。たとえば死後事務委任契約の請負や仏壇墓石店の運営、遺品整理や住宅の解体の請負、不動産業など、葬儀の前後でも収益を上げられるようにしました。
父は葬儀以外の関連産業に手を出しませんでしたが、私は社長就任当初から「今後は核家族化や高齢化が進むため、葬儀単体にお金をかけなくなる」と確信していたんです。インターネット系の葬儀社さんが急速に増えている点を踏まえても、葬儀単体の市場は間違いなく縮小するでしょう。
実際に、たとえば「10万円で葬儀ができる」と謳うテレビコマーシャルを見たお客様から「同じようにできるでしょ?」といったお声をいただいたこともあります。
しかしのいりは、葬儀を簡素化したサービスが増えても、今までのスタンスを崩しません。「お別れを大切にしたい」「丁寧に葬儀をあげたい」と望むお客様に適正価格でサービスをご提供し、ご故人様を共にお見送りいたします。
だからこそ、葬儀以外の関連事業で収益を上げる必要があるのです。そうでないと、私たちのサービスを必要とするお客様に届け続けることができませんから。
では視点を変えて、社内についてお伺いします。のいりさんの離職率はどのくらいなのでしょうか?
コロナウィルスの拡大による影響で、2~3%ほどに上がりました。この数字に「すごい」と言っていただけることもありますが、葬儀業界は変化が激しいため、まったく油断できません。
そこで、働きやすい環境づくりの一環として、令和3年に本社を建て直したんです。お子さんがいる方でも安心して働けるよう、キッズルームも設けました。
それ以外にも社員総会や社内研修会、社員旅行、年末の「望年会」など社内行事も充実させています。緊張感のある仕事ゆえに普段はざっくばらんに弾けられませんから、社員旅行などで部署を越えて楽しんでいる姿を見ると、嬉しいですね。
最後に、今後のビジョンについて教えてください。
創業から今年でちょうど110年。これまでは、葬儀単体で事業を成長させてきました。
のいりの強みは、一宮で葬儀社を長く続けているからこそ、地域の皆さまに圧倒的に信頼していただけているところだと自負しております。「先祖代々、葬儀はのいりさんにお願いしている。これからもよろしくお願いします」「葬儀といえばのいりさん」というお声が、一番嬉しいです。
それはひとえに、創業した曽祖父が祖父に、祖父が父に、父が私に、襷を繋いでくれたおかげです。そして私も、次に繋いでいかなければなりません。
繋ぐまでのあと15年。私は株式会社のいりを、葬儀専業社から総合葬祭サービス会社へ転換させます。
現在の一宮市の人口は38万人。近隣の市を含めると、マーケットとしては80万人ほどになるでしょう。今後はそこにターゲットを絞って葬儀以外のサービスも展開し、事業成長を目指します。
そのうえで常に意識したいのが、「仕事は親切であれ、丁寧であれ、迅速であれ、奉仕であれ、夢であれ」という父が作った社訓。
お客様が葬儀社に求めるものと同様に、「それは本当に親切か?丁寧か?」という問いへの最善解は、時代の変化と共に変わっていきます。私たちのサービスを地域の皆さまに届け続けるために、次の15年、その先100年を見据えて、在り方や役割、手法を常にアップデートしていきたいですね。
これは、4代目である私の役目です。たとえるなら、箱根駅伝でいう往路の4区。先輩方が繋いでくれた襷を手渡せるよう、走り抜きます。
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