Interview with the management経営者インタビュー

家族経営から変化を遂げ、さらなる進化を目指す 〜㈱博愛社〜

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埼玉

2022.01.11

社会貢献/自己実現

家族経営から変化を遂げ、さらなる進化を目指す 〜㈱博愛社〜

曽祖父から4代にわたって受け継がれてきた博愛社。途中では業務内容の変更や屋号の変更がありながらも運営を続けてきました。

村上武白様は4代目の代表取締役・社長。子どもの頃はある出来事がきっかけで「葬儀は絶対に継がないぞ」と思い、家を離れることに。しかし博愛社のピンチに駆けつけ、ご自身の経験を持って立て直しを行いました。

博愛社へもどるきっかけとなった危機、コロナ禍による危機、2度の大きな変化を体験し、変わり続けていくことの大切さを知ったと話してくれた、武白様。

武白様が考えられているのは、これからのこと。変化していかなければならないと感じるその裏には、博愛社を次の世代へ繋がなければならないという、強い想いがありました。

―――まずは博愛社さんの歴史を伺ってもよろしいですか?

博愛社の歴史は、曽祖父が1960年に設立した会社から始まっています。今から約60年前ですね。もともとは造花店をやっていて、当時は村上商店という名前だったそうです。

昭和50年くらいのころのこと、お得意先の病院の院長先生から、「うちでもし亡くなった方がいたら紹介するから葬儀社をやって見たらどうか」とお話をうけ、葬儀の仕事が始まりました。

そして昭和53年には、それまで個人事業主だったのを法人登記し、屋号を改め、博愛社がスタート。博愛社となってからは約40年ほどが経過しています。

私も昭和53年世代で会社と同じ年なのですが、物心ついた時には、博愛社は完全に葬儀社として成り立っていました。会社が忙しいときは小学生でありながら、代わりに電話に出て軽い受け答えをすることもあって、事務所の奥には家族が住んでいましたし、典型的な家族経営の企業でしたね。

はじめて搬送に連れていかれたのは、小学6年性の頃のことです。当時はスタッフの質があまり良くなく、夜の当番の方が抜け出してしまうことが多々ありました。その度に父が搬送に向かっていたのですが、その夜は、突然起こされて搬送に同行することに。

小学6年生という思春期前の多感な時期だったため、その経験がかなり頭に焼き付いてしまいまして……。気がつけば「葬儀は絶対に継がないぞ」という気持ちを抱くようになっていました。

―――そういった感情の中で、武白様はどう言った経緯で入社されたのでしょう?

博愛社でバイトをしつつ、職人さんなど様々な仕事を経験しました。そうして、生花店で働かせていただいたことがきっかけで、博愛社へ入ることになりました。

その頃には私も結婚し子どもが産まれており、色々と考えた結果、家業に携わる機会を作れないか、と考えるようになっていたんです。

私が就職していた会社では葬儀社へ生花を販売していたため、そのノウハウを学びました。その頃には父親とも頻繁に会うようになっていましたから、お酒を飲むなどして、会社の話を聞いていました。話を聞いていくとどうやら博愛社の経営状況がとても悪く、いよいよ潰れてしまうといった状態だというのがわかってきました。

親戚や身内を集めて状況を共有する場が設けられ、話がされたあと父から「今うちで生花をやったら利益は出るか?」と相談を受けたんです。

内容を聞くと、利益が出せそうでしたのでそれを伝え、博愛社へ入社することになりました。

―――入社してからはどういった取り組みをされていったのでしょう?

入社してすぐに感じたのは、典型的な衰退していく葬儀社の雰囲気でした。私が入った15年前あたりは大手の葬儀社からの独立が盛んで、調子を上げている新しい会社がいる一方で、家族葬に対応できない老舗が苦戦している、極端な時代でした。

博愛社は後者だったため、まずは時代の流れを父に説明。コストのかからない小さい取り組みからは改革を始めてきました。

例えば広告費。私が入るまでは、多額の費用を用いて、タウンページの見開きページに広告を出していました。ところがお客様アンケートをとってみるとそこから受注につながったお客様は1組だけだったんです。

父にその状況を伝え、インターネット広告をかけさせてくれと交渉。従来の広告費の1/10以下の金額から運用を始めていきました。

また経営理念の策定も行いました。

それまでは従業員が困ったときに立ち返る、芯のような考えがなかったんです。そのため、サービスにばらつきが生まれていました。

社員みんなと話し、サービス重視のお葬式に切り替えた時期でもあったので、日本で一番信頼される会社をめざそうと決め、たくさんのスタッフがその理念のもと働いてくれています。

完全トップダウン型だった組織が、段々とボトムアップ型の組織になっていったのには驚きましたね。今では社員たちが独自にクレドを作成し、取り組みむまでになっています。

これらの提案を、父は最初からすべて完全な形で受けいれてはくれず、だいたい両者の妥協点に落ち着いていきました。そこから実証実験を行い、段々と完成に近づけていく形が多かったですね。

―――社長に就かれたのはいつのタイミングだったのでしょうか?

私が社長になったのは2020年の4月1日でした。それまでも、経営に携わる部分をやっていたので、社長になったことによりそれらのスピードがはやくなった感じですね。

ただ社長になってからすぐに、コロナウイルスの感染拡大を受けて緊急事態宣言が発令されてしまい……。3ヶ月くらいは口座からお金がどんどんなくなっていきました。 

こんなに危機感を感じることはありませんでしたが、同時に経験できて良かったとも感じています。

どこの葬儀社もそうだと思いますが、今、強くいられるところはビジネスモデルを変えたり、コストを見直したり、とコロナ禍がこのまま続いてもやっていけるような組織に変化しているところです。

実家に戻ったとき以来の危機に直面して、変化の重要性を改めて実感しました。

―――最後に、博愛社のこれからについて聞かせてください。

葬儀分野では、市内の多くの場所に展開してきたいと考えています。他地域への展開は考えていませんが、競合が増えてしまうのも良くないので、さいたま市内はカバーしたいなと。

その上でどんどんと異業種に出ていけたらと考えています。今しきりに叫ばれている2040年問題。ここ、さいたまの人口は若いので、もう少し先のことだと思いますが、どちらにせよ業界の未来はあまり明るくありません。

曽祖父の代から繋がれてきた博愛社という会社を、次の世代へと繋いでいくこと、それこそが私の任務だと考えています。しかし次の世代に繋いだとき、できることが葬儀業界だけというのはあまりも酷です。

しっかりとそれぞれのスキームを構築して、いつかは博愛社ホールディングスとなっていけたらいいですね。

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