Interview with the management経営者インタビュー
群馬
2022.03.03
社会貢献/自己実現
群馬県桐生市で、大正時代から活動をしている株式会社板場。
20代の半ばに入社された現代表・板場様は、時代に翻弄されながらも、先代と協力し、必死の思いで課題を乗り越えて来ました。その後もさまざまな苦労を重ねる中で、板場様は、初代から、先々代、先代へと歴史を重ねるなかで培われて来た株式会社板場の強みを実感したといいます。
板場様が託された強みとはなにか?これからどう活かしていくのか?株式会社板場の沿革から、板場様に受け継がれた強みを紐解いていきます。
―――創業はいつ頃だったのでしょうか?
創業したのは約100年前、大正時代のことでした。もともとは大工の家系で、初代は大工の棟梁として建物をつくるかたわら、近所の方の要望で 柩を作っていたそうなんです。
そうしていくうちに段々と葬儀関係のお仕事の比重が増えていったため、2代目となった曽祖父の代から葬祭業を生業とするようになりました。とはいっても当時は、リアカーに祭壇や花輪などの荷物を積んで各家々を回る、ほぼ個人商店のようなものだったと聞いています。
現在は企業として活動していますが、それは初代、先々代、先代、と会社に携わった者が「会社がより良くなるように」と力を尽くし、私にまでバトンを繋いでくれたからなんです。現在は社員やパート、役員を含めて20人ほどで葬儀のお手伝いをさせていただいています。
―――会社の規模が拡大したのはどのタイミングだったのでしょう?
先代である父が代表を務めていたころですね。法人登記もしましたし、何より自社会館を建設したことが大きかったです。先代の時代の途中までは地域に葬儀社が少なく、株式会社板場は比較的安定した状況を維持していました。
しかし時代が進むにつれ、さまざまな葬儀社さんが地域に参入してきたため、だんだんと施行件数が減っていってしまったんです。お客様も他社に流れていってしまい、危機的な状況に追い込まれていきました。
そこで打たれた施策が自社会館の建設でした。大学卒業後、私は熊本の葬儀社へ修行に出ていたのですが、お世話になった葬儀社が会館を保有しており、多くの式を行っていたんです。修行する中で、桐生に戻ったら会館を持ちたいという夢と会館葬への憧れがありました。板場らしさの表現と、お客様へのより充実したサービスの提供をするには、会館は必要だと修行時代から感じていました。
修行期間が終わり桐生に戻り父と一緒に仕事を始めましたが、新規参入業者との競争の中で「このままでは、株式会社板場は負けてしまう。終わってしまう。お客様のために仕事を続けていくためには、自分達も会館を持たなければダメだ」と改めて強く感じ、父に「なんとか会館を建てられないか?」と懇願し、建設することになったんです。先代にとって大きな覚悟が必要だったと思いますが、株式会社板場はその後、なんとか生き延びることができました。
―――熊本へ修行に行かれていたのですね。家業を継ぐことに迷いはなかったのでしょうか?
そうですね、子供の頃から葬儀社で働く父母の姿を見て、「大変だけど、この仕事をしたい」と感じていました。父は真面目であり、新しもの好きで、ユーモアもあり、どんなことにも一生懸命取り組んでいました。お客様のことを一番に考えていて、持ち前のコミュニケーション能力で、誰とでもすぐに仲良くなっていきました。また、母も父以上に真面目です。夜中の電話も毎日対応し、休みもあまり取れず、父と協力して会社を守ってきてくれました。
そんな父母の姿に尊敬と憧れを抱いていたんです。
また、どんな時間でも電話が入ればすぐに霊柩車に乗ってお客さまの元へ向かわなければならない仕事なので「いつかは家業を継いで、両親のために頑張りたい」という気持ちを持っていました。両親から家業を継いでくれと言われたことは一度もありませんが、中学生の頃には継ぐことを決めていました。
中学、高校を卒業し、大学では、将来、経営者となることを考え、経営学を学びました。そして卒業してすぐに、縁があって九州の葬儀社へ修行に出たんです。私としてはその会社で2年、もう一つ別の会社で2年、計4年修業をしたいという思いがあったのですが、その頃は現場に人が足りておらず「大変だから戻って来てくれ」ということで、20代半ばには株式会社板場に戻りました。
―――代表を継がれたのはいつのタイミングだったのでしょう?
先代が65歳になったとき、代表を引き継ぎました。先代としては自分が元気なうちに、私へとバトンを託したかったようですね。私もその頃は子育てがひと段落し、いろいろな団体に所属し、知り合いも増えてきたところでした。代表を継ぐ前から、自分が代表と同じような立場で現場に指示を出していたため、スムーズに交代することができましたね。変わったことは肩書きが変わったことくらいです。
―――株式会社板場に戻られてから今まで、一番苦労されたことはなんでしたか?
そうですね……やはり自社会館を建てる前の時期でしょうか?とにかく件数が落ちてしまい、また社員もなかなか定着してくれず、すぐに入れ替わってしまうような状況だったんです。
施行件数は会館を建てることで一時回復しましたが、また落ちてしまう時期がありまして……。
その際は、遅ればせながら新たに会員制度を導入し、お客様との接点を増やすことで対応をしていきました。また「お客様に選んで頂けるように、リピートしてご利用いただけるように、一件一件大切に」と社員に対して想いを伝え続けていたため、今思えば結果的に、私の想いを理解してくれる頼りになる社員が育っていったように思います。会員制度を導入してからは、お客様に「なんでもっと早くやってくれなかったの?」と、会員制度を待ち望んでいたありがたいお言葉をかけていただくこともありました。
私の代まで、地域との繋がりを大切にして来てくれた先代たちの偉大さを感じましたね。他社の会員に登録されている方も、弊社の会員様になっていただけるような工夫をしたり、お世話になっている地域の事業者の方々にお願いして弊社オリジナルの特別クーポンを発行していただくなど、会員数を増やしていきました。「板場さんのためなら」とクーポンの発行に協力してくださっている事業者さんは、現在350社近くになっています。
社員への対応としては、まず社員の要望を聞き、仕組みを整え、しっかりと休める制度を設けていきました。また教育の基準を整えたり、業務内容の見直しや給与体系の改善を図り、労働環境の整備を進めていったんです。
加えて、先ほどもありましたが、父が社訓として定めた「葬送文化の伝統と本質を尊重し、心を添えた葬祭サービスをもって、喪家に奉仕をする」や、「みんなで協力しあって良いお式を心がけましょう」、「次のお仕事がいただけるように、心を届けましょう」、「何よりも誠実を尽くしましょう」といったメッセージを、毎日のように社員たちへ伝え続けていったんです。
すると、だんだんと社員たちが想いに応えてくれるようになり、今では新たな施策の提案などしてくれています。社員が社員を想い合う雰囲気も生まれるようになっており、助け合う文化も育まれて来ました。
―――これからについて伺ってもよろしいですか?
これまで仕事が減ったり、社員が長く続かなかったりと、苦しい状況に立ち向かっていくたびに、お仕事をいただけることのありがたさや、社員の大切さを実感してきました。代表となってからはより強くそのことを感じています。
私たちの強みは、人と人との心の繋がりが強いことです。地元の方からは「板場さんのところは丁寧に対応してくれる」「良いスタッフが多いね」といった声をいただくこともあり、世代を経て受け継がれて来た人間的な繋がりが、私たちの強みとなってくれているんだなと感じています。葬儀の件数も6〜7割はリピーターの方なんですよ。
これからも強みをさらに伸ばして、地域から選ばれる、地域から愛される葬儀社としてお客様に尽くしていきたいですね。私や社員の仕事に向き合う姿勢から、お客様への優しさや葬儀への想いが感じられるようなサービスやおもてなしを提供していきたいと考えています。そして、この地域の中で生きていきたいと思います。
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