Interview with the management経営者インタビュー
埼玉
2022.02.08
社会貢献/自己実現
今回は埼玉県さいたま市にて「葬祭空間はるか」を運営している、株式会社武蔵浦和会館の代表取締役・小杉英介様にお話をお伺いしました。
社長に就任される前、会社は倒産寸前の危機に。大変な苦労がありながらも、会社を再建することができたのは、会員様の応援があったからこそだと小杉社長はおっしゃいます。苦難の多い道だったからこそたどり着けた、今の事業や想いとは……?
小杉社長が入社された当時のお話をお聞かせください。
株式会社武蔵浦和会館は、1993年に創業しました。私が入社したのはそれから10年ほど後のことです。
当時私は定職に就いていませんでした。しかし、父と祖父を同じ年に亡くしまして。そろそろ働かないといけないと思っていたとき、たまたま二人のお葬式を頼んだ武蔵浦和会館で、「人を探している」という話を聞いたんです。
はじめは「とにかく社会復帰するために、どこでも良いから働いてみよう」くらいの軽い気持ちで、入社しました。おばあちゃんっ子だった私は、何より祖母が、定職に就いたことを喜んでくれて嬉しかったですね。
定職に就いていない頃は、あまり人との関わりがありませんでした。関わりが無い分楽な反面、誰からも感謝されないというか…。ですが仕事を始めてからは、喪主になる方が祖母と同じくらい年上の方が中心だったんですが、可愛がってもらったり、信頼してもらえたりしたんです。
頑張れば頑張るほど感謝してもらえる。
感謝されるのが嬉しくて、当時は今では考えられないくらい大変な環境でしたが、やりがいを持って働けていました。
どのような流れで社長に就任されたのですか?
今でこそ、そのあたりは整備をしたのですが、昔は会社の会計というのがとても杜撰だったんです。私がマネージャーを担当していたときは、会社自体も盛り上がって、若い人もやる気を出していたんですが、いつか良くなると信じて懸命に働いても、社員に全く反映されなかった。地域の顧客も増えて、はるかの家族葬が評価されているのに、会社のお金が湯水のようにどんどん外に流れてしまう。
結果として、辞める人が続いてしまい、経理まで辞めてしまった。そんなとき、税理士の方から「このままじゃ会社潰れるよ」と言われてしまったんです。
その後は、お金の一切の管理を私がすることで、会計も多少は回るようになっていき、差し迫った状況をなんとか立て直したところで、先代社長に退任してもらいました。
私が社長に就任してからもそうなんですが、大変なときも会員の方が応援してくれていたんです。私はこの会社に勤める前までは何にも持っていなかった。だからこそ会員のみなさんのためにも、とにかく会社を残したかったんです。会社を残せたのは、会員の方がいてくれたおかげですね。
大変な状況の中で承継されたと思うのですが、社長就任後はどのような取り組みをされていましたか?
最初の大変なときってそんなものだと思うんですが、自分が稼働すればお金がかからないと思っていたので、当時は年に数えるほどしか休んでいませんでした。社員には最低限ですが、遅れずに給料を渡せるように努めましたね。
一番大変な時期は、月7〜8件お葬式の担当をしたり、2日に1回くらい当直をしていました。そのときの大変さは、今やれと言われても絶対にできないです。
やっと一息つけたのは、それから3年くらい経ってからでした。今の取締役に来てもらったのですが、よく働いてくれる方なので、だいぶ楽になりましたね。売上はそんなに変わっていませんでしたが、出て行くお金を減らして、必要なところにお金を分配するということを徹底していました。
とにかく経理面が大変な状態だったので、どう考えても一度会社を潰した方が良かったのだと思いますが、当時はそのやり方も知らなかったんです。
今の経営理念はどんなきっかけで作ったのでしょうか?
会社がある程度落ち着いてから、経営の勉強をするようになりました。そんなときに、経営理念を作るセミナーを受けたのがきっかけです。
でも、社員に浸透させようとはそんなに思っていないんです。経営理念を作ったばかりのときは、理念の唱和などもしていましたが、私の会社には合わないなと。
葬儀の担当者って、みんな家族のために一所懸命なんですよね。そのことは私が一番知っているので、それさえ忘れなければ他に大切なことなんてあまりないと思っていて。
ただ8年前、会社を存続させたときに自分が感じたことは、残しておきたかったんです。私が目指しているのは、今の事業を拡大することよりも、地域の高齢者に喜ばれることをすること。会員のみなさんがいなかったら、今の会社はないと思っているので。そこはずっと大切にしていきたいし、それだけはやめないでいようと思っています。
社長が次に描いているビジョンについて教えてください。
今はまだ会員様中心にこじんまりとやっているのですが、3年ほど前から高齢者専門の御用聞き事業を始めました。地域の高齢の方の家に行って、電球交換や庭の草刈りなど、何でもお手伝いするという取り組みです。
昨年の11月には別の社団法人も立ち上げて、そちらでは御用聞きはもちろん、もっと広範囲にお年寄りをサポートできるような仕組みを整えています。
御用聞きの事業を始めてから、地域包括の支援や訪問介護をしている方と繋がりができ、そういった方からの相談も増えてきましたね。社内的には、こうした地域のための活動がのちのち仕事に繋がるとは言っていますが、どちらかというと「やりたいからやっている」という気持ちが強いです。
これまではお葬式の事業を、社員3名と私で担当していたのですが、昨年一人増やしたので私以外の4名に任せられるようになったんです。ですので私は今、御用聞きの方をメインにしています。
正直、地域からの顧客がほとんどなので、担当者が4名いれば、よっぽどでない限り会社は回ります。話は少し逸れますが、現在弊社では月の勤務が18日、休日が12日となっていて、変則的ですが週休三日を達成していますし、ボーナスも毎回出せています。私が社長になる前には考えられないほどの、ホワイト企業になりました。
新しい事業にはどんな想いで取り組んでいるのですか?
「高齢者が安心して暮らせる街づくり」を大きな目標に掲げています。葬儀の仕事に繋がるかどうかは関係なく、お年寄りの方がもっと幸せになれそうなものだったら、何でもやってみたいです。スナックといった飲食店もいずれやってみたいという思いがあります。
葬儀に関しては、あまり大幅に件数を増やしたくないと思っているんです。近くにいないとサポートできないことも多いので、ある程度の収益を保ちながら、今の地域の中で支持を得られたら嬉しいですね。
社員には会議の度に「葬儀の仕事をやってくれてありがとう」と伝えています。そして、地域の方からちょっとでも「いい会社」だと思ってもらえることが、会社の存続に繋がるということも伝えていますね。
30年も営業していて、弊社ほど横ばいの会社も珍しいと思います。地域の他の葬儀会社の中には、葬儀の件数を伸ばしていたり、会館を増やしたりしている会社もあります。当時は同じ位の規模だったんですけどね。
先代がちゃんとしていて、少しずつ利益を投資していればそんな未来もあったのかもしれませんが、まったくそんな道はたどってこられませんでした。
でも、それが良かったと思うんです。いくつも店舗を持っていたら、御用聞きの事業なんてやってる場合じゃないでしょうし。
最近、御用聞き以外にも、後見人や死後事務、遺言などの相談を受けるようになりました。すると10年来の会員様なんですが、ずっと家庭内の問題を抱えて誰にも相談できずにいた方に、「はるかさんが始めてくれたから相談しにきた」と言ってもらえたことがあったんです。
そのとき、人に言えない悩みを抱えている方がいかに多いかに気づかされました。士業の方や行政に相談しづらいことも、「顔の知っているはるかになら相談できる!」。そう思ってもらえるように、最近は法律に関することなども勉強しています。
今後は、高齢者のあらゆる悩みをワンストップで解決できるような会社にするのが、目標です。
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