Interview with the management経営者インタビュー

綾川の地に骨を埋めるつもりで「人と人とのお付き合い」をする 〜(株)綾川葬祭〜

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香川

2022.08.10

社会貢献/自己実現

綾川の地に骨を埋めるつもりで「人と人とのお付き合い」をする 〜(株)綾川葬祭〜

香川県綾歌郡綾川町に拠点を持ち活動している、株式会社綾川葬祭。2008年創業、今年で15年目の葬儀社です。お話を伺ったのは、株式会社綾川葬祭の代表取締役・伊藤雄介様。

警察官になって1年。突然やってきたお父様が発した言葉は「警察官を辞めてくれ」。そんな伊藤様は入社後、とある出来事をきっかけに会社を継ぐ覚悟を決め、今では飲食業やペット事業なども展開されています。

何を経て覚悟を決めたのか?葬儀業だけでなく、なぜペット事業にまで手を広げていらっしゃるのか?そこには、人情を何よりも大事にするお父様への深い尊敬と、綾川町への愛がありました。

さっそく、綾川葬祭さんの歴史からうかがってもよろしいでしょうか?

綾川葬祭は、15年前の2008年に現会長である父が創業しました。

私の家族は全員九州出身で、父はもともと長崎県で商売をしていたんです。しかし上手くいかず、人生をやり直すために離婚し、41歳のときに香川へ移住。ハローワークへ行って最初に始めたのが、飲食店での皿洗いの仕事です。

葬儀でお出しする料理を受注していたのもあって、会社の社長が「これからは葬儀社だ!」とビビッときたそうで。お達しを受けた父は修行に行き、平成3年に葬儀社を立ち上げました。

しかし経営者が次々に変わって従業員は疲弊。現場責任者だった父のもとへ、「経営サイドについていけないから独立してください」という部下たちの声が届き、独立したんです。15年前の2008年、父が60歳のときでした。

当時、私は警察官として勤めていました。しかし父は独立するなり警察学校へ来て、「警察を辞めてくれ」と言いまして(笑)。「何度も試験を受けてやっとの思いで警察官になったんだから、辞めるなんて無理だよ」と答えましたが、「もしかして継がないといけないのかな?」とも……。

そんな私が入社を決めたきっかけは、父が銀行に勤めていた私の妻を綾川葬祭に引き入れたこと。継ぐのは決まったも同然です。

警察官のキャリアが中途半端になることは嫌でしたが、とりあえず5年は会社の様子を見ようと決め、その後2012年に綾川葬祭へ入社。当時の会館数は1つ、従業員は私たち家族を入れて10名に満たない程度でした。 2018年には私が社長へ就任。創業からちょうど15年目の今年、会館数は5つに、従業員はパートを含め40名ほどに増えました。現在は綾川葬祭のほかに料亭や喫茶店などの飲食業、ペット事業や樹木葬事業もしています。

入社してから、ご自身が大きく変わった出来事があれば教えてください。

はい、2つあります。1つ目は、入社直後にお客様からの緊急の連絡に気づかず、父から叱られたことです。

警察官のころは、四六時中携帯電話に意識を傾ける習慣が実はありませんでした。それが残っていたのか、お客様からのご連絡に気づけなかったことがあるんです。その際に、父から「お客様が一番困ってるときに電話に出られないなら、葬儀社は務まらない」と叱られ、「これまでとスタンスを変えなければ」とスイッチが入りました。

2つ目は、入社3年目に父が交通事故に遭ったことです。

車の壊れ具合を見る限り、助かるかどうかわからない状況でした。私は物覚えが悪く、熟練のスタッフから「将来、本当に社長が務まるのか?」と言われてきていたのですが、もし今で父が亡くなっても会社は動いていく。誰も助けてはくれない、自分が動くしかない……。

「会社を継ぐ」と心の底から覚悟を決め、ふんどしを締め直したのはあの時です。当時は当直も務めていたので、父の電話・当直の電話・僕の電話、と携帯電話を5台ほど持って走り回っていましたね。

その3年後、社長に就任しました。きっかけは、当時テレビで放映されていた天皇陛下の生前退位です。「亡くなってから引き継ぐのでは遅い」ということは身を以て感じていたため、社長就任を決め、会長である父に相談しつつ経営を学んできました。 とはいえ父は健在で、77歳なのにバリバリの現役です。営業が大好きで、今も寝台車に乗っています。

社長に就任されてから飲食業を始められたのですよね。何がきっかけだったのでしょうか?

就任してすぐ、父が皿洗いをしていた飲食店から売却のお話をいただきました。

決して安くはない。けれど、料理の外注が増えてきているから内製化したい。とはいえ社長になってまだ1、2ヶ月で、この選択が正しいのかわからない。父は「社長のお前が決めなさい」と言う……。

そう悩んでいたときに、とあるセミナーの講師さんが「一定額を外注しているなら内製化した方がいい」と後押ししてくださり、踏ん切りがついたんです。

飲食業の展開に伴って、社内の仕組み化や人事施策も少しずつ進めました。実は綾川葬祭も、しっかりとマネジメントをするようになったのはここ1、2年なんです。 父は古い人間ですがバリバリの現役なので、父が理解できるアナログさも必要。しかし先のことを考えると、仕組み化はどうしても避けられない。バランスを取ることが非常に難しいですね。

葬儀業以外も始められてから、どういった理念でグループ会社を統轄しているのでしょうか?

グループ会社としての理念は今年の春過ぎに作り終えたばかりで、まだ表には出していません。

ホームページに「人と人、心と心」「綾川葬祭は“人”でできています」という言葉があるように、新しい理念も「人」を念頭に置いて策定しました。8月の半期の決算の際に、グループ会社の社員を集めてお知らせすることになるかと思います。

思い返してみると、「人」がいかに大事であるかは、父が教えてくれました。会員だろうがそうでなかろうが、葬儀社とお客様ではなく「人と人のお付き合い」をしているんです。人情だけでここまでやってきた、と言っても過言ではありません。

社長でなくなった今でも、会社ではなく父個人に依頼の電話が入ったり、営業時に「お父さんは?」と聞かれたりします。

だから、他の葬儀社から転職してきた社員は驚いているんじゃないんですかね。前職と比べて、「綾川葬祭はとんでもない会社だ、お客様や地域の方との付き合い方が普通じゃない」と。

そういった会長のイズムを継承しつつ、私の代で事業の多角化など新しい風を取り入れていきたいですね。コロナウィルスの拡大によって時代の流れやお客様から求められるものが変わりましたから。

そして、新しい風を取り入れても、結果を出すことには貪欲であり続けます。失敗すると、ライバル心の強い父から「ほれみろ」と言われてしまいますし(笑)

この10年で社員数は4倍、会館は1つから5つへ。次の10年、綾川葬祭はどのようなビジョンを掲げて進んでいくのでしょうか?

最近、地域の皆さまの中から「伊藤さんといえば葬儀社」「綾川葬祭が飲食店をしている」という固定のイメージが消えつつあるように思います。

私自身、固定のイメージを抱かれることが嫌だったんです。「綾川葬祭が飲食店をしている」ではなく、「綾川葬祭は飲食店もしている」と捉えてほしい。なぜなら、さまざまな事業を通して地域の困りごとを解決する会社にしたいから。

それを達成するには、乗り越えなければならない課題ももちろんあります。父や高齢のベテランスタッフが抜けるであろうこの先3年が、最初の関門になるでしょう。人員に不足はありませんが、夜中も走って契約を取りに行く父のようなバイタリティを持つスタッフは多くありませんから。

そういった人の新陳代謝に伴って、固定観念に囚われずに組織としてもアップデートしていきたいですね。アナログさに固執して凝り固まるのではなく、かといって画面越しのドライなお付き合いばかりでもなく。 綾川葬祭の強みである「誠実さ」を大切に「人と人とのお付き合い」をし、綾川の地に骨を埋めるつもりで事業を成長させていきます。

<インタビュー>
つむぎ株式会社 代表取締役社長 前田亮。静岡県立清水東高校、慶應義塾大学経済学部卒業後、新卒で株式会社船井総合研究所に入社。エンディング業界の立ち上げを行い、チームリーダー、グループマネージャーを得て、35歳で部長となり、BtoCサービス業全般を広く携わる。10億円未満の中小企業における「業績を伸ばす組織作り」をコンサルティング領域とする。「信念のあるいい会社」にもっと入り込んだお手伝いをしたいと2020年独立し、つむぎ株式会社を創業する。

執筆:紡ぎ手 玉川礼華

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