Interview with the management経営者インタビュー

「心」を大切にしたお葬式を提供したい~(株)埼玉金周~

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埼玉

2021.05.30

自由度

「心」を大切にしたお葬式を提供したい~(株)埼玉金周~

本日は埼玉県ふじみ野市に本拠地を置き、東武線沿線上に式場や相談室など11拠点を構え葬祭業を展開する株式会社埼玉金周の内田安紀社長にお話をお伺いしました。

ご自身の経験から地域密着を大切にされ、理念を軸とした人材教育を仕組みとして実施されているその会社経営ついて、また今後のビジョンを含めたくさんのことをお話しいただきました。

初めに創業についてお話を教えていただけますか?

元々創業者は内田金太郎さんという方で家具職人でした。大正12年に関東大震災が起こり、当時の家具職人は臨時で棺をつくることになったそうです。それがそもそものきっかけですね。

その経験から大正15年に葬儀を本格的に始めたと聞いています。ただ、祖母が葬儀社の出身だということもあったようなので、それも理由の一つじゃないかとは思っています。

その後、私の父親、現会長の代が引き継ぐわけですが、会長は次男でしたので、最初は家業を継ぐ予定はなかったそうです。ですから獣医になるために北海道の大学に行っていた。それがいきなり帰ってこいと言われ、お見合いをすることになり、あっという間に結婚。そしていつの間にかに家業を手伝っていたようです。

当時は既に叔父の内田周一さんが本店を継いでおり、金周内田という名前で営業をしていました。その後会長は独立をすることとなり、当時の自宅があったふじみ野市(旧上福岡市)にて創業。地域の指定葬儀社を引き継ぐためにも金周の名前が必要ということで、埼玉金周という名前で1986年7月31日に創業いたしました。

内田社長が会社に戻られたのはいつですか?

私は1994年に大学を卒業したのですが、1995年から実家で手伝いを始めます。そして翌年栃木の小山市で独立することになります。

当時、栃木の県議会議員が葬儀社を斡旋したいという話をしており、それで小山に来いと言われて、その声を信用して何も知らない土地に一人で乗り込んだわけです。

結果は1年間で4件。やはりそんなに甘くはなかったですね。いざ栃木に行くと、先に話をしていた県議会議員さんは、「昔からの付き合いもあるから」となかなか仕事を紹介してくれることもありませんでしたし、営業活動をしていてもどこも同じような反応でした。

地元の大手工場を廻ったり、知り合いの会社を廻ると生花や花環は受注できても、お葬式の依頼はいただけない。その時に初めて地元の大切さ、いわゆる地縁やつながりのあるお客様の大切さを痛感しました。

その経験は戻ってこられてからも活きていますか?

そうですね。1997年に埼玉金周に戻ってきたときに最初に行ったのが会員様の掘り起こしでした。当時会員になってもらっても何もしていなかったので、お葉書を送ったり、情報誌を始めたりと、様々な形でつながりを大切にしました。

一方で小山での経験は別のところでも活かされました。当時の埼玉エリアは半分以上がまだ自宅葬、集会所での葬儀でしたが、式場葬へ舵を切ろうと決めました。

そのきっかけが小山で、私の地元よりも田舎の地域ではあったものの既に式場でのお葬式が主流だったんですね。
それで必ずその流れは埼玉にも来るものと思ったのです。ですから小山から戻ってくるまでの最後の3か月くらいは、どんなエリアに式場をつくるのが良いのか、ヒントを探す日々でしたね。

それから式場を建てられたわけですね。

最初の式場は事務所として使っていた場所を改装しました。いろんな場所を探してみたものの、大きすぎたり、辺鄙な場所にあったりと。ある人のアドバイスで、自分がお客様に説明できない場所は絶対ダメだと言われ、確かにそうだなと納得しました。

それでまずは事務所を移転することを決めました。お客様にとってもっと気軽に立ち寄れる場所にと、現在の本社に事務所を移し、そしてもともと事務所だったところを式場にリニューアルする形となりました。

その後、多くの相談室や式場の出店をしてきましたが、いずれもわかりやすさ、お客様の利便性を重視した場所に拘ってきました。

どんどん攻めている印象ですが、社長に就任されたのはいつですか?

平成18年、35歳のタイミングで社長を引き継ぎました。計画的でもなんでもなく、いきなり「まかせた」という感じです。ただやっていたことはそれまでと変わることはありませんでしたが。

埼玉金周が掲げるモットーとして「がんばらない、頑張らせない、嘘をつかない」いうものがありますが、これは私が社長になる前から思っていた事でした。

ただ、今とは違うのは、当時はこの考え方はお客様に向けたものでした。お葬式の現場では、ご遺族に対して必死に励ます廻りの姿があるんですよね。でもそれは時につらくもなる。頑張らなくてもいい、時には涙してくださいと。だからそれを理解して、周囲もあまり頑張らせようとするのは辞めましょう。

というメッセージでした。そして嘘をつかないというのは、そういったお客様に対する私たちの姿勢を伝えるための言葉でした。

それがだんだん変わってきたのですか?

当時は家族経営でしたが、件数も増えるにつれてスタッフも多くなり、この言葉をスタッフに対するメッセージとしても使うようになりました。

自分たちが頑張りすぎると余裕がなくなる、それはサービスの低下を招きます。お客様に頑張らせてはいけない。それは精神的にも金銭的にもです。そしてスタッフ間のチームワークを大切にするためには何より嘘をつかないことが大事。

スタッフも20名を超えるあたりから、そういった考え方を目に見えるものにしていきました。

そのほかにも形にしていったものがあるのでしょうか?

順調にお葬式件数は伸ばしていたものの、いろんな経営者に会う中でふと自分たちの武器がないことに気付いたのです。言い換えると「軸」ですね。埼玉金周にとっての軸は何なのだろうと考えた時に、お客様から頂く声やアンケートを見直してできた信念が「アットハートなお葬式」でした。

大切な人を考える時には必ず心が存在します。私達は、その「心」こそ大切にしたお葬式を提供しようと。それがお葬式における考え方の指標になりましたね。

そのような見える化の重要性を感じたきっかけは何でしょうか?

スタッフも30名を超えてくるくらいに、やはり言葉が伝わりにくくなってきたからです。いわゆる組織の壁でしょうか。それで一つ一つの考え方を見える化していきました。先ほどのモットーも信念もそうです。

そして理念である「粋・活・生きるを応援し隊」もその中でつくった言葉です。元気に活動的に生きる事、素敵に格好よく生きる事、命の尊さを知ることことで豊かに生きる事。葬儀社であるからこそ、生きることの意味を伝えることを大切にしています。

というのも、当時すでに会員のお客様向けに、友引塾だったりイベントといった様々な活動を行っていました。それはまさに先に掲げた理念に通じる話なのですが、それをスタッフにもわかりやすく伝える意味も込めて、改めて形にしたという感じです。

これらの理念等はどうやってスタッフに伝えていっているのでしょうか。

弊社はもともとそんなに堅苦しい会社ではないので、普段の中で伝えることが多かったですね。社長塾というその時に私が感じていることを伝える勉強会はやっていましたが、それ以外には各店舗が目標を達成した月に開催されるご褒美会が主な伝達の場になっていると感じます。

お店を選ぶ際には繁盛店だったり、新しいお店を選んで、そのお店を体感しながら振り返りをする。その中で私自身の考え方を伝えていくような形です。

今でも覚えているのが、忘年会シーズンでの一コマ。あえてアポなし飛び込みでいろんな店を廻ってみました。それで全件断られたんですね。ただ断り方にも違いがあります。

単に「満席です」というだけなのか、申し訳ありませんという一言がつくのか、また次回使えるサービス券を渡してくれるのか。そんな違いを学ぶこと自体が、自分たちの考え方にもつながりますよね。

貴社は評価制度も印象的です。

評価制度はかなり長い間取り組んでいます。はじめ評価制度をつくる際には、会社のビジネスモデルを整理するところから始めました。そこに約2年間近く費やしたかと思います。すべての取組に「なぜ」を追求し、一つ一つ整理していった。そのビジネスモデルに評価制度に連動させました。

弊社が大切にする考え方を軸として、そのウェイトを6割においているのが特徴だと思います。仕事ができるよりも、理念に沿っているかどうかを大切にする。そんなこともあり、評価制度は毎年調整をかけています。そして今では、それが教育体系にもしっかりと連動しています。

採用時や、初出社時にもその評価軸をかなり明確に伝えるようにしています。私たちが大切にするのは、自分で考えられる力。仕事の中で躓くことは必ずあります。その時にどうやって乗り越えるかは、その本人の考え方がとても大事です。

もちろん先輩が手を差し伸べることは大切ですが、根本的には本人が立ち上がろうとしなくてはいけません。そういった人を私達は大切にしています。

今、内田社長が考えていることは何でしょうか?

今、私が50歳になります。ですから次世代社長をしっかりと育てないといけないと考えています。

次世代社長は自分と違う考え方をする人を育てたいですね。見渡してみるといろんな人がいます。課題をストイックにこなす人もいれば、周りに助けられながらもしっかりと成果を出す子もいる。着眼点が抜群な子もいます。

いろんなタイプがいる中で、自分とは違うタイプの後継者をしっかりと見極めていきたいですね。それが今の一番の仕事でしょうか。

<この記事を書いた人>
つむぎ株式会社 代表取締役社長 前田亮。静岡県立清水東高校、慶應義塾大学経済学部卒業後、新卒で株式会社船井総合研究所に入社。エンディング業界の立ち上げを行い、チームリーダー、グループマネージャーを得て、35歳で部長となり、BtoCサービス業全般を広く携わる。10億円未満の中小企業における「業績を伸ばす組織作り」をコンサルティング領域とする。「信念のあるいい会社」にもっと入り込んだお手伝いをしたいと2020年独立し、つむぎ株式会社を創業する。


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