Interview with the management経営者インタビュー
栃木
2022.03.30
社会貢献/自己実現
本日は、栃木県那須塩原市に本拠地を置き、葬儀式場7か所を展開される有限会社三誠の関口将仁社長にお話をお伺いしました。まったくの異業種からの創業、そして引き継いだ後の理念の必要性、それから離職率0%を実現している現在、どんなことをされているのか、様々な角度からざっくばらんにお答えいただきました。
早速ですが、関口社長は創業の頃のお話はご存知ですか?
私で4代目となります。元々は祖母が創業した会社で、創業時は地元の駅前で焼き鳥屋をしていたそうです。その後、2代目がホテルをスタート。遊技場も経営していました。ただ、20年ほど前にホテルや遊技場の経営も難しくなってきている中で、3代目が何か違う事業をと始めたのが葬祭業でした。
葬祭業を始めるとなったときは、どんな印象でしたか?
その話を聞いたのが私が19歳の時でした。正直、なんでその業種なんだろうって思いましたね。19歳という年齢じゃないですか。やはり「いいね!」とはならなかったですよね。
ただ、ちょうどその頃、葬儀関係の専門学校ができ、夜間の授業ということもあり、大学に通いながら専門学校にも通い始めました。
そこで学ぶ葬儀の世界は、思っていた印象とまるで違い、その講師の方のお話を聞いていると本当に素晴らしく、いい仕事だと思うようになりました。実際に葬儀社で働く機会もあり、益々印象はプラスになっていきました。
専門学校卒業後、すぐに会社に入られたのですか?
仙台の葬儀社にまずは修業に行きました。業界では有名な大手です。仕組みもできていたし、もちろん考え方もしっかりしていた。葬儀も毎日あることは当たり前。かなり多くの方のお葬式をお手伝いしていました。ですから、修業を終えて戻ってきたときのギャップはすごかったですね。何がとかではなく、とにかく全部がギャップでした(笑)
三誠に戻ってきたのが25歳の頃。そして2年ほどで経営者となりました。最初にやったことはとにかくマーケティング。とにかくもっと葬儀件数を増やしたいという想いでした。
その当時は理念とか、働き甲斐とか全然なかったですね。採用も全然計画的ではなく、忙しくなったら採用する。経験者を採用するのは嫌だったんですが、経験者を採用しないと仕事が回らない。そんな状況でした。すべてが手探りでしたから、徐々に限界も感じてきました。
マーケティング一辺倒だった考えが変わった理由はあるのですか?
それは明確に覚えているんです。2016年12月に経営理念というものを作り始めました。
その年の4月に火事になったんです。現場には消防車が8台も来て、地元の新聞にも大々的に載りました。
もう大ごとです。その当時は葬儀件数も落ちている中での火事、もうどん底でした。
そんな時に静岡にある葬儀社さんに行く機会を頂きました。そこで大きな衝撃を受けたんです。お話をお伺いした社長も素晴らしいし、葬儀式場もきれいで、それももちろん印象的だったのですが、とにかく社員さんが素敵だったんです。そんなにじっくり話をしたわけではないんですが、空気感というか、とにかく衝撃的だった。
その視察では、いろんな葬儀社さんがいたのですが、いい葬儀社さんは、社員さんが素敵なところばっかりで。
その時に、なんで自分はできないんだろう、と思ったんです。同じ業種で仕事をしているのに本当に悩みました。と同時に、悔しい気持ちもありました。
その中で、そういった会社さんの根底には、理念や大切にしているものが必ずあることに気がついたんです。それで自分たちも理念をつくろうと決意しました。2017年から半年ほどの時間をかけて、理念とそれに泡あせた評価制度をつくり始めました。
理念はどのように作っていったのでしょうか?
理念をどうやって作るかというのも議論がありますよね。社員と一緒に作っていく形ももちろんいいなとは思ったのですが、当時はまだ従業員数もそんなにいない状況。
私の腹の底というか、自分が創業者の意識を持って会社を創っていくという意識を持って、自分で創ることにしました。それを成長していく中でブラッシュアップするなど、変えることはいつでもできると。
まずは形にすることを優先しました。私の腹の底、創業のイメージをもって、自分がスタートだと思って、私がつくったものをブラッシュアップして、変えていくのはいつだってできるし、という形をとりました。
それが「ぼくのおばあちゃんにしてあげたかったお葬式」という言葉です。
それは関口社長の原体験からできた言葉ですか?
そうですね。祖母を見送ったとき、まだ葬儀事業はしてなかったんですね。ですから地元の葬儀社に依頼をしました。
その葬儀社が悪かったということではないですが、もし今、私がディレクターだったら、もっとこんなことができたなという思いがあるんですね。
その思いをすべてのお葬式に掲げてお客様に提供すること、それには価値があり、私たちが存在する意味があると思ったんです。
理念を掲げてからの社員さんの反応はどうでしたか?
反応は正直覚えていないんです(笑)。
というのも、当時は火事で焼けてしまった会館のリニューアルを同時並行で立て直す必要があったので、そちらに必死だったということもあります。
ただ少ししてから、クレドに関するワークショップを始めたんです。それを始めて半年ほど経ってからみんなの反応が変わってきたような気がします。初めのうちは私が説明するだけでしたが、徐々に社員からも意見がでるようになりました。
社内の風通しを良くするためにはコミュニケーションが絶対に必要不可欠で、そのためにもアイスブレイクはとても大事にしました。チームビルディングも兼ねてできるようなやつですね。それをワークショップの中に取り入れて、
クレドワークも実施することで限られた時間の中で、飽きずに、会社の考え方をみんなで共有することができるようになりました。
理念が社員に伝わってきた、と感じる出来事はありますか?
弊社では情報共有のツールにチャットワークを使っています。その中で、昔は私が「このお客様にはこんなことをしてあげたらいいんじゃないかな?」という提案をすることが多かったのですが、ある時それが私からではなく、社員の中で自然とあがるようになりました。それを見て、だいぶみんなにも伝わってきているのかなと感じましたね。
会社全体の雰囲気もこの2年で大きく変わったと感じます。ただ、一番は私のみんなへの接し方ですかね。大きく変わったといえば。
以前は、「やってしまったこと」に対して注意していました。それが理念をしっかり作った後は、どちらかといえば「なんで良くなかったか」を話すようになったり、また起こったことに意識を向けるよりも、その後に意識を向けるようになりました。
そういった変化がいい方向につながっているのか、この4年間くらいで社員は一人も退職していません。それはありがたいことですね。
これから先に、実現したい未来はありますか?
2017年の頃に考えていたことは形になった気がしているんです。
インナーブランディングの部分はだいぶ出来てきたなと思っているので、これを今度は外に向けて発信していきたいと思っています。
お葬式もそうだし、会館といったハード面、イベント一つをとっても、理念をお客様に感じてもらえるような仕掛けをしようよ、と。
さらにもっと出店もしていきたいと考えています。やっぱり従業員がどんどん出世できる環境を作っていきたいですよね。人数が増えていく中では、役職も増えていかないと成長する機会も増えません。もちろん収入的にもそうです。
出店をするというのは、「ぼくのおばあちゃんにしてあげたかったお葬式」がもっと多くの人に届くことだと考えています。
もっとこうしてあげたらよかったのに、という後悔はたくさんの人にあると思うのです。私もそれがあります。同じ想いをする人が一人でも少なくなること。
それが私が成長を目指す理由でもありますね。
<この記事を書いた人>
つむぎ株式会社 代表取締役社長 前田亮。静岡県立清水東高校、慶應義塾大学経済学部卒業後、新卒で株式会社船井総合研究所に入社。エンディング業界の立ち上げを行い、チームリーダー、グループマネージャーを得て、35歳で部長となり、BtoCサービス業全般を広く携わる。10億円未満の中小企業における「業績を伸ばす組織作り」をコンサルティング領域とする。「信念のあるいい会社」にもっと入り込んだお手伝いをしたいと2020年独立し、つむぎ株式会社を創業する。
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