Interview with the management経営者インタビュー

「自分の子供も働かせたい」そんな会社を目指して~(株)セレモール~

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栃木

2021.05.30

社会貢献/自己実現

「自分の子供も働かせたい」そんな会社を目指して~(株)セレモール~

今回は栃木県に拠点を持ち、”葬祭維新 ー故人を尊び、心に残る世界で無二の葬儀を目指してー” をコンセプトに、葬祭・法事会館や仏具店を展開する株式会社セレモールの片柳様にお話をお伺いしました。

ITメーカーでの勤務を経て、会社に戻ってきた片柳様が最初に取り組んだのは業務改善と採用活動。社長に就任するまでの5年をかけて、新卒採用と「社員の誰もがオールマイティ」を実現しました。社員のハッピーをどこよりも願う、セレモールの経営哲学とはーー。

始めに、御社の歴史について聞かせてください。

私の祖父が、栃木の地で仏具店をしていたのが始まりでした。その後、1998年に父が独立する形で今のセレモ―ルがスタートしました。

父が社長になった頃、私はすでに実家を出て大学に通っていました。幼少の頃から「いつか継ぐことになるかもしれない」という意識はあったものの、父からは「継ぐ必要ないよ」と言われていたので、ITのメーカーに就職しました。

就職した2002年は、ITバブルで六本木ヒルズが誕生した時期。生涯年収を意識して、太く短く早く稼いでのし上がりたいという気持ちで、ITの仕事を選びました。土日もずっとメールやPCの画面を見て、どこに行っても仕事をしていました。

今の会社には、何がきっかけで戻ったのですか?

29歳で結婚して、子どもができました。私は栃木出身で、妻は岐阜県の育ち。お互いに田舎で育ちました。ある時、山手線社内でランドセルを背負った小学生が目に入って、衝撃を受けました。「自分の子どももいつかこうなるのか」と漠然と思うようになり、育児について考える様になりました。

私が初めて定期券を手にして、感動したのは大学生になってから。都会の生活に没頭し、6歳から子どもは定期を持って学校に通い、気づいたらいつの間にか20歳になっている。そんな生活は嫌だなと危機感を覚えるようになり、30歳で退職して地元に戻りました。

戻ってきてからは、どのようなことに取り組まれたのですか?

地元に戻ってきたのは、育児に時間をかけながら家族を大切にし、細く長く働くこと。父が会社を始めてからの2代目を継ぐことは、社員も分かってくれていたので、焦ることなくみんなの様子を観察しながら、数年かけてこの仕事を覚えていけばいい、というスタンスでした。

最初に取り組んだのは、業務改善。WordやExcelをうまく使いこなせない社員がいたので、業務を簡素化できるように標準化したり、関数を使って事務作業を行う仕組みにしたりと、初歩的なところからできることをやっていきました。

次に取り組んだのは、採用活動。セレモ―ルが創業してから12年、離職率が高くてなかなか人が定着せず、社員の高齢化も目立ってきたので、若い人を入れようということで新卒採用に着手しました。

採用において大事にしていた考えは、「話せば分かってくれる人がいる」ということ。当社は長く新聞広告の求人を続けていましたし、リクナビとかも流行り出しましたね。求人を出してもなかなか人はこない、でもコストは一定かかる、ということがずっと気になっていたんです。「プレゼンさえさせてもらえたら、100人中1人くらいには届くだろう」と信じ、説明会を開催し続けました。

地道に続けていると、1度の説明会で10~15人は安定して足を運んでもらえるようになりました。2012年の新卒採用では、50~60人から応募があり、3人の入社が決まりました。3人ともとても優秀で、順調に新卒採用の活動をスタートさせることができました。

組織内部やシステムには、その後何かアプローチはされたのですか?

2011年に専務に格上げされてからは、葬儀の現場から半分足を抜き、徐々にマーケティングに口を出すようになりました。例えば、看板。昔は、葬儀社は目立ってはいけないという暗黙のルールがあって、縁起でもないと叩かれていたんですね。

当社のことをもっと知ってもらうために、やらなきゃということで、ブランディング活動の一環として取り組むことに。ブランドイメージ色を紫色にし、ロゴも統一してチラシにも反映し、看板を出し始めました。

その後は、社員のスキルの標準化の提案を始めました。当時社内にあったPCの機種やバージョンがバラバラ、という課題がありました。一新してメーカーを同じものに統一して、誰がどのPCを触っても業務を進められるようにしました。

社員の葬儀スキルにも、ばらつきがあったことにも目を付けました。司会ができない人もいれば、事前相談ができない人、PCはできない人もいる、などという状況が起きていました。

私が言い始めたのは「みんながジェネラリストに、オールマイティプレイヤーになろう」ということ。職種の専任を置かず、全員が何でもできるように仕組みを標準化し、スキルの育成を行いました。

誰かが抜けても、他の社員でカバーができるようになったので、休みが取りやすくなりました。葬儀屋から葬儀社へ、会社として動けるようにすることを意識していたので、みんなの頑張りもあって社風が良くなっていきました。

片柳様が社長に就任されたきっかけは?

2013年に、父が事故で現場に入るのが難しくなってしまい。療養に専念してもらうためと、私がここに戻ってきてもう5年になるタイミングも重なり、そろそろということで2015年に社長に就任しました。

新卒採用に力を入れていましたが、定着率があまり向上していないことが気になっていました。経営陣や上司の顔色を伺いながら仕事をするのは気持ち良くないと思うので、私は現場に出ずに、管理職に権限を渡して、私がいなくても現場で意思決定ができるような文化醸成を始めました。

社員全員のジェネラリスト化に伴い、休みをもっと取れるような体制作りにも着手しました。まばらだった休みを、絶対に月6日は休みが取れるようにみんなで協力し、初めて3連休を取れるまでになりました。社員旅行にみんなで行ったりと、福利厚生の充実にも力を入れ始めました。

組織への理念浸透のために、行っている取り組みはありますか?

先代から受け継がれている「葬祭維新」という理念。引き継いだからといって、これまでのものをすべて否定するのではなく、会長についてきた人たちもいますし、踏襲もしながら我々らしい文化を築けたらと思っています。

会社理念は「いのちの大切さを知る葬儀社としてお客様のために努力しつづけると共に奉仕と感謝の気持ちで地域社会の発展に貢献します」。それを支える5つの行動指針があります。毎日の朝礼で理念を唱和すると共に、社員に1~2分くらいで行動指針に基づいたスピーチをしてもらっています。加えて、月に1~2度程、私から全体に話す機会も設けています。

私はよく、社員向けや新卒採用のイベントで「会社は誰のものですか?」と問いかけます。株主のものか、社長のものか、お客さんのものかもしれません。私は、社員のために会社はあると思っています。社員の働きぶりのおかげで会社は経営していけますし、社員がハッピーだから素敵な仕事を提供できる。

社員がハッピーに働きながら、私がいなくても会社が回るスキームを作っていきたいです。細く長く働きながら、いつか会社を社員に託せる企業体制にし、セレモールが永続する企業になれば嬉しいですね。

最後に、社員のハッピーをどのように作っていくのか教えてください。

ここで働けて、誇らしいと思ってもらえることが一番ですね。そのためには、お給料も休みも必要。地域の人たちから、「セレモールで働けていいね、うちの子も働かせたいな」と思ってもらえるような企業作りを目指します。

一昔前までは、当社の立地の良さや施設の綺麗さなど、ハード面が強みでした。今従業員13名を見ると、みんな真面目で、どこに出しても誇れる人間しかいないと思っています。まさに「人財」、みんなが財産だなと思っていますし、他の田舎町の葬儀よりは、レベルの高いもの提供している自負があります。

「あなただからお願いしている」

そんな風に、お客様から思っていただけるような人財を育てていきたいですね。信頼できる人から買えるからこそ、商品に見合った料金がつくでしょうし、誇れるような価値を提供できるサービスを、セレモール一同行ってまいります。

<この記事を書いた人>
林 将寛 https://twitter.com/masa_884884
レバレジーズ(株)にてキャリアアドバイザー、(株)LITALICOにて家族支援への従事を経て、ライフコーチとして独立。主に対人支援職者や若手キャリア層に向けて、パーソナルセッションを提供。

つむぎ(株)ではライティングパートナーとして、toB向けのインナーブランディング支援や、経営者へのインタビュー・記事執筆を行う。

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