Interview with the management経営者インタビュー
茨城
2021.05.30
社会貢献/自己実現
今回は茨城県に拠点を持ち、”思いやりのある、お葬式を。思いやりで心を繋ぐ” をコンセプトに、県南地域で2つの会館を展開するセレモニー博善株式会社の橋本様にお話をお伺いしました。
若くして社長に就任し、初めは周りからの応援をなかなか得られない中からスタートした会社経営。お客様への「思いやり」と「ありがとう」を軸に置く葬儀スタイルを確立し、今では地域で評判の葬儀社になるに至るまでのストーリーに迫りますーー。
始めに、御社の歴史について聞かせてください。
会社の設立は1979年。父が創業した当初は、お葬式用の造花を飾って、祭壇のレンタルを提供する、葬具屋さんのような位置づけでスタートしました。父は造花の製造会社出身で、独立して造花の卸屋さんを始めてから数年、私が3-4歳の頃に葬儀の店を出しました。
私が子供の頃は葬儀屋さんのイメージがあまり良くなく、色々と言われてました。葬儀屋の息子というのが嫌でしたね、絶対に継ぐもんかと思ってました。
当時は会社を継ぐつもりはなかったのですね。
そうですね。特にやりたいこともなく大学には入りましたが、学校へはあまり行かず飲食店でのアルバイトが、とにかく楽しかったんです。人に何かしてあげて、喜んでもらえるのが楽しくて。学校で学ぶことが、社会に出てなんの役に立つのか意味を見出せず、早く働きたい気持ちが日に日に増していきました。
葬儀屋も飲食と同じサービス業と捉えて、人に何かしてあげる喜びを実感できるのかなと思い、20歳の時に葬儀屋を継ぐことを決意しました。
大学を辞め、都内の葬儀社「博善社」で勉強をさせてもらい、そろそろ実家に戻ろうかと視野に入れ始めた時のことでした。私が23歳の時に、先代である父が亡くなりました。急遽、家業を継ぐことになり、23歳で2代目社長に就任しました。
急遽戻ることになり、苦労はありましたか?
何をするにも、右も左も分かりませんでした。同じお葬式でも地域によって色が違うので、いくら東京で仕事をしていたとしても、やり方が全然違いました。教えてくれる人も周りにいませんでしたし、全く分からない状態からのスタートでした。
23歳という若さで社長に就任したこともあり、最初は苦労しました。「若造が、そんなことも知らないのか」「親父さんが亡くなったあそこはもうだめだ」と、言われたい放題で、悔しい思いをしました。
集金に行ったら「ハイエナ」と言われたのが一番傷つきましたね。(笑)。
一番苦しい時は、2か月で葬儀が1件しかなかったり。それでもなんとかやるしかなくて、とにかく一生懸命目の前のお客様に向き合いました。認めてもらうには積み重ねるしかないという思いで、できることは何でも地道にやりました。
周りのお客様に伝わり始めるまで、どれくらいかかりましたか?
3年はかかりました。本当に少しずつ、お客様のためにできることはなんでもやって、地域に合った葬儀を提供できるようになり、父の代からのお客様も応援してくれるようになり、うちの会社を使っていただけるようになりました。
2003年に、今のセレモニー博善の名前になりました。勉強させてもらった会社の博善という名前の綺麗さが気に入ってて、「セレモニー」をつけることですぐ葬儀社ということが分かるし、画数的にも縁起が良かったので、社名を変更することにしました。
社名を変更する転機があったのですね。
コアメンバーは誰一人として辞めることなく、ずっと同じメンバーで仕事をしてきました。それまでは100%私が打ち合わせに入り、担当を全て受け持っていました。仕事の依頼が増えてきて、さすがに私一人だけで回していくことに限界を感じ始めました。
葬儀屋ではなく葬儀社として仕事をしていくために、経営理念を掲げたのはこの頃から。自分の人生を振り返って、仕事でも人間生活においても大事にしていたもの。浮かんだのは「思いやり」でした。
飲食店で仕事をしていた時の体験が蘇り、どうすればお客様に喜んでもらえるのかという原点に立ち返り、相手のことを考える「思いやり」の大切さに気づきました。何人かと集まって勉強会を開きながら磨き上げ、この「思いやり」を一本柱に掲げることにしました。
経営理念ができてから、変化はありましたか?
仕事を進める際に、理念に沿って物事を判断できるようになりましたね。どうしても、予測できないイレギュラーに遭遇し、判断が求められる場面がありますよね。イレギュラーが起こる度に、社員から私に「どうしますか?」という状況が頻発していました。
理念ができたことで、それは「思いやり」になっているのか。相手のためになっているのか、なっていないのか。思いやりに沿っているかどうかを判断軸に、社員一同が動けるようになりましたね。
「思いやり」を柱にするようになってから、故人様への意識も自然と向くようになりました。お客様に喜んでいただけるように、ご家族には思いやりを、故人様には「ありがとう」を届けようと。故人様に感謝の気持ちを向けて、気持ち良くお見送りできるような、葬儀のあり方へと変化していきました。
今までは私一人が、全て葬儀の担当を持っていたので、橋本龍弥にお客様がついていた。「思いやり」と「ありがとう」を柱に葬儀をするようになって、会社にお客様がつくようになりました。
会社としてのブランド力が上がり、「セレモニー博善といえば」という地域の方々からの評判をいただけるようになりました。
最後に、今後の展望を教えてください。
柱となる理念に沿って行動ができるから、お客様に素敵な葬式を提供できる。
故人様はどんな人で、どんなことが好きで、どんな趣味を持っていたのかを想像する。
そうすれば、自ずとご家族と故人様に喜んでいただけるサービスを提供できると思うんです。
一回きりの待ったなしの仕事ですから、お客様の喜びのためにとことん想像できる会社でいたいですね。一つひとつ、満足いただけるお葬式を積み重ねていきながら、セレモニー博善が茨城県南地域で一番の葬儀社になれるよう頑張っていきたいです。
<この記事を書いた人>
林 将寛 https://twitter.com/masa_884884
レバレジーズ(株)にてキャリアアドバイザー、(株)LITALICOにて家族支援への従事を経て、ライフコーチとして独立。主に対人支援職者や若手キャリア層に向けて、パーソナルセッションを提供。
つむぎ(株)ではライティングパートナーとして、toB向けのインナーブランディング支援や、経営者へのインタビュー・記事執筆を行う。
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