Interview with the management経営者インタビュー
兵庫
2023.03.19
社会貢献/自己実現
本日は兵庫県加古川市に本拠地を置き、葬儀式場、お葬式相談室を合計6か所で展開する株式会社花浄院の池本丈太郎社長にお話をお伺いしました。
事業承継後からの苦労、考え方を180度転換し、スタッフのやりがいにフォーカスした経営を実践され続ける同社。どのような会社創りを行い、どのような会社を目指すのか、オープンに様々なことをお話しいただきました。
創業の頃のお話をお聞かせください。
弊社は1970年が神戸市で創業、今年で50周年となる会社です。私が3代目になります。元々葬儀の仕事をしていたわけではなく、花や葉物を市場に卸していたことが始まりです。そのうち村でのお葬式があると手伝ってほしいと声を掛けられるようになり、それが収入となりはじめ、創業者の祖父が友人と3人で本格的に葬儀の仕事をスタートさせました。
当時は今のように式場葬ではなく、自宅葬が中心の時代です。現会長は、実家の手伝いをしていましたが、大学卒業後、これから人口が増えるといわれていた加古川に行ってこい!といわれ、加古川で葬儀社をスタートさせます。それが1972年の頃です。
全く所縁もない土地でスタートさせたのですね。
初めのうちは大変だったみたいです。今ではそんなことはできませんが、病院に泊まり込みをして、搬送を受けていたりもしたそうです。徐々に口コミでご依頼を頂けるようになり、徐々に件数を伸ばしていきました。
父と母の2人で仕事を続けていましたが、80年代に入ると、互助会が結婚式場を改装し葬儀式場にしました。弊社は式場がなく、搬送のお手伝いから自宅葬のお手伝いだったわけですが、徐々に依頼を頂ける機会が減ってきた。それで式場を建てようとなりました。
ただ、ほぼ家業の状態だったので、借入も一筋縄ではいかず、かなりの年月を要しました。バブルがはじけた、葬儀業界の将来性があった、など様々な要因があってのことではあったようですが、それにしても大きな額を良く借りれたなと思います。
当時の池本社長は、大きな式場ができたのを見てどう思われましたか?
葬儀の仕事は当時はする気はありませんでした。ですから、「なんか事業上手くいってんだな~」くらいの印象です。
父はもともと学校の先生になりたかったのを、祖父の葬儀社を手伝うこととなり夢を立たれた過去があった。だから私には好きなことをしていいと言われていたんですね。ですから私は大学卒業後金属機械の設計の仕事をしていました。
会社に戻ることになったきっかけは?
26歳の時、父が怪我をしたんです。社長として前線に立ち仕事をしていましたが、体がいうこときかなくなってしまった。前線に出る事が出来なくて不安になってきたんだと思います。
当時私の姉は会社に入っていましたが、姉と母だけで会社の運営をするのも大変になってきた頃。父から帰って来いと言われたわけではないのですが、26歳まで好き勝手させてもらったので、そろそろ家族のために仕事をしようと戻ることを決めました。それでも1年くらいは悩みましたが。
この時期に長野の中央タクシーさんというところに視察に行く機会がありました。まさに地域密着でスタッフがやりがいを持って働いている会社です。
この会社の視察が大きなきっかけでもありましたね。こういう会社になれたらいいなーという憧れのようなものを持った記憶はあります。社員が楽しそうに働いているの、いいなと。自分の会社にはなかった光景だったので、どうやって楽しんで仕事ができるのかなと考え始めました。
最初に取り組んだのは何だったのでしょうか?
リピーターの件数を追いかけることから始めました。それまでの弊社といえば、いかに新規のお客様に選んでもらうか、そこにかなりの力を費やしていましたが、一旦それをやめて、目の前のお客さんに最高のサービスを提供して、親戚さんなど含めてリピートでご依頼いただけるように、またご友人などの紹介も頂けるようにと、既存のお客様満足の最大化にシフトしました。
ミッションができたのはその後でしたでしょうか?
安定的な雇用の創出をミッションとして掲げたのは2013年の頃だったと思います。社長になり1年間伸びなくて、社員の満足度をどう求めていくかと考え始めたそのタイミングで、今マネージャーをしている社員が入社してきました。
23歳で入社して、結婚して、これから子供も生まれるタイミングです。こういうメンバーがうちの会社で成長して、家族をもち、人としての成長を会社と共にできたらいいなぁと思ったんです。それでミッション掲げようと、長く働いてもらえる会社にしようと思ったんですね。
というのも、その時にいた社員は全員先輩だったんですよね。私が社長になったとき、一番後輩が私。
ですから、この時に入社したメンバーが最初の部下であり、最初の後輩なんです。先輩のこれからの人生というのは、なかなか思い浮かばなかったんですけど、部下の人生は自分がつくってあげるというのがしっくり来たんですよね。
ミッションを作ったときの先輩たちの反応はどうだったんですか?
ありがたいことに先輩社員はこっちをむいて仕事してくれていました。だから、ミッションを作りたいといっても理解は示してくれましたし、それに乗っかってくれました。ただ、やりかた、考え方を変えるまで行くかというのは難しいところはあり、そのあたりは折り合いが難しかったですね。
ミッションが浸透し始めたかな、と感じたのは新卒採用の取組をした時です。それまではミッションは作ってみたものの絵に描いた餅状態でもありました。言葉にはしましたが、店舗出店とか、拡大路線など手を打てていなかったのです。
そこで会社として、ミッションに沿って取り組みをする、だから採用をするんだよと新卒採用というチャレンジをしました。その活動を経て、社員も納得してくれ始めましたね。
スタッフから見た、わかりやすい取組は出店と採用かと思います。それはミッションの具現化みたいなところです。すべての取組にコンセプトや意味合いを持って、それを伝える。
最近では、プロジェクトを組んでやったり、採用の中でもしっかり議論する時間を持ちましたね。ミッションをかみ砕いて、採用でも喋ったり、具現化したものはこうだよと、映像にするなどして浸透を図っています。
社員さんにとって理解が深まっているのを感じた出来事はありますか?
採用活動の中で、社員が学生に向かって話をしているときですね。ミッションや企業の取組をしっかりと学生に向かって自分の言葉で語り、質問にも答えている姿を見て、意味もしっかりと理解してくれているんだなと感じました。
お客様にはそういった想いは伝わっていると感じますか?
ミッションについてはお客様に出しているものではありませんが、お客様に向けては「アットホームな葬儀社」というコンセプトを打ち出しています。それはお客様からも良く言っていただきますね。
最近うれしかったのは入社1年目の子が担当したお客様に、お葬式が終わって、家にお伺いした際に「ほんまのアットホームやな」といわれたことです。それを聞いた1年目の女の子も本当に喜んでいて。
本人は全身全霊で、お客様にサービス提供した。これやって、怒られないかな、、嫌がられないかな、、とすごく緊張していたそうです。ただ、実際終わったらすごく喜んでくれた。しっかりと1年目のスタッフも大切にしていることを実践できているのがうれしかったですね。
今、池本社長のやりがいは何ですか?
スタッフ満足度しかないですね。売上、利益、それはあるに越したことはないですが、売上が上がったからといってテンションあがることはなくて。それよりもむしろ1年目の子が仕事のおもしろさを熱く語ってくれる姿を見ると、やっててよかったなとおもいますね。
今後目指すところはどこでしょうか?
規模感とかは手段として必要かとは思っていますが、一番は、この会社で働きたい、と思う人が殺到する会社にしたいですよね。
やっぱりこの仕事を始めてから、働きづらいイメージであることをお客さんから言われたり、採用面でも厳しいことを言われたりしているので。いい所で働いているね、いい仕事だね、って若い人達から言ってもらえる、そんな会社になることが、私の一番の夢ですね。
<この記事を書いた人>
つむぎ株式会社 代表取締役社長 前田亮。静岡県立清水東高校、慶應義塾大学経済学部卒業後、新卒で株式会社船井総合研究所に入社。エンディング業界の立ち上げを行い、チームリーダー、グループマネージャーを得て、35歳で部長となり、BtoCサービス業全般を広く携わる。10億円未満の中小企業における「業績を伸ばす組織作り」をコンサルティング領域とする。「信念のあるいい会社」にもっと入り込んだお手伝いをしたいと2020年独立し、つむぎ株式会社を創業する。
お問い合わせ
Mission Company Story~エンディングビジネス~は、
葬祭業界(エンディング業界)特化型の経営者インタビュー・転職ブラットフォーム。
エンディング企業の経営者の「想い」と、その「想い」に共感する人と出会えます。
また、葬祭業界(エンディング業界)のさらなる発展のための情報を発信しています。